春が分かつ

撮った写真、読んだ本、考えたことなど雑多に書き溜めていきたいと思います

人から評価されること

僕はnoteの方で、普段考え込んでしまった時にそれを吐き出し書き残すことがあるのですが、その中の一つをこちらにも残しておきたいと思います。

この悩み(といって良いのか分かりませんが)は、集団の中で生活する以上誰もが考えることなんじゃないかと思います。

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 人から評価されるのは好きですか?

 もしかしたら大抵の人は好きではないかもしれませんが、そこにやる気を見出している人もいるのかも。

 僕は、今まで生きてきた中で過大評価をされている、ほんとはそんな優秀じゃないのに、、と感じることがしばしばあり、最近にも立て続けに感じることがありました。そんな時いつも同時に感じるのは、大きく評価された喜びよりも、いつ本当のことがバレるのかという不安です。

 僕は多分、人から自分という人間を評価されることが好きではないのだと思います。しっかりしてそう。頭がいい。そのような、事実の自分と答え合わせができない評価が。それは、人の評価なんて気にしない、媚びない、そんな立派な考えではなくむしろ逆で、事実の自分がその評価に見合っているのか。実際は足りていなくて、いつか相手を失望させてしまうのではなかろうか。そんな臆病さゆえであると思います。人の評価を気にしすぎなんだろうと。直そうにも簡単じゃなくて困ってます。

 過大評価をされていると感じた時、それが本当にその通りなのか。それとも自分が自分を過小評価しているだけで、もっと自信を持つべきなのか。それがわからない時はどうすればいいのだろう?
「そう思ってもらえて嬉しい、期待に応えられるように頑張ろう」
とポジティブに捉えられるようになればいい?こんなこと悩むまでもない些細なことかもしれないけど、ふと思い浮かんだまま考え込んでしまいました。

 話が少し変わりますが、僕は昔からテスト返却が割と好きでした。周りの友達は、「やだ!!どうせ悪いもん!!」とか、「それはお前ができるからだろー!笑」とか言ってたけど、そういうわけではなく、でもなぜかは説明できませんでした。確かにそれなりに真面目に取り組んでいたので、大コケする心配はあまりしませんでしたが、勉強の成績がトップクラスの優等生だったわけではないですし、頑張って勉強したけど全く自信がない科目だってありました。でもそんな科目でも、返却される時が来れば謎のワクワク感を持っていました。

 今考えるとそういったテストの返却や検定の合否などの結果は、過小過大なく、事実として自分に下された評価だから好むのかもしれません。確実に実際の自分に見合った、安心して受け止められる評価。だからそれが良くて喜ぶものでも、悪くて落ち込むものでも、知ることを楽しみにする自分がいるんじゃないかと。ただの根拠のない予想ではありますが、笑

ただ、これからも社会で生きていくには人から評価され続けなくてはなりませんし、そこでいちいち考え込む余裕なんてないだろうことはわかっています。自分の自分に対する評価と人からの評価の受け止め方、扱い方を学ばなければいけないなと感じました。

自分には、軸にすることができるブレない自分への評価が必要なのかもしれません。それが曖昧なまま、自分の能力の限界を決めてしまっているのかも。そんな軸を得ることができれば人からの評価を受け止め、比較し、吸収できるような強さも得られるのかな。