春が分かつ

撮った写真、読んだ本、考えたことなど雑多に書き溜めていきたいと思います

「時間」との付き合い方

街中をゆく他人をみているとふと、「この人は自分の知らない時間を何十年と過ごしてきたんだ」と不思議な気持ちになることがよくある。普通に考えればなにもおかしいことなんてなくて、不思議に思うことが不思議なのかもしれない。

難しく考えようとすれば時間とは出来事や物の変化を認識するための概念で、手をパーからグーにするには時間が必要で。なんてことは普段生きている中で全く必要なく考えることもない話だけれど、でも人々は常に時間を意識し時間を軸に日々をこなしている。もちろん自分もその1人で、流石に何時には起きないと。流石に何時までには寝ないと。などと時計に促されながら生活している。もしかしたら自分は、自分に付き纏う時間の相手をするのに精一杯で他人の時間に目を向ける余裕がないのかもしれない。だから他人にも時間があることを忘れていて、不意に気づかされたときに不思議な気持ちに陥るのかもしれない。

結局「時間」なんてものは個人の主観と共にあるものに過ぎなくて、万物に平等に流れる!なんて考えながら過ごしてる人は少ないんじゃないか。「時間を共有する」という言葉だってそれぞれに個別の「時間」があるという認識からできた言葉かもしれない。

だからといって、これからは時間に縛られず好きなことを好きなだけして、眠いときに寝て、目が覚めたら起きる生活をしよう!と意気込むわけでもなく、今日も定刻通りに来た電車に乗って決まったシフトのバイトに間に合うよう向かっている。時間は社会の心臓で、無理に取り除こうとすれば生き苦しくなる。

ここまでつらつらと書いてきたけれど、結局だからなんだって話で、これからも僕は「時間」の隣で生きていくだろうし、自分の知らない「時間」と共に生きてきた誰かに好奇心を持ち、その「時間」を知りたいと思える人と、同じ時間を共有したいと思うだろう。

「時間」を嫌がるわけじゃなく、ちょっとだけ意識してみると不思議に感じるなって思っただけのお話でした。